ボクシングの試合を観ていると、熱い打ち合いの最中に突然レフェリーが試合を止め、選手が苦悶の表情でうずくまるシーンに出くわすことがあります。「何が起きたの?」と驚くかもしれませんが、これは多くの場合「金的攻撃(ローブロー)」と呼ばれる反則打が原因です。
鍛え抜かれたプロボクサーでさえ、一撃で動けなくなってしまうこの攻撃。一体なぜ、これほどまでに危険で、厳しく禁止されているのでしょうか。
この記事では、ボクシングにおける金的攻撃のルールや、なぜ起きてしまうのか、そして選手を守る防具の仕組みについて、初心者の方にもわかりやすく解説します。
ボクシングで金的攻撃(ローブロー)が反則とされる理由
ボクシングには「打っていい場所」と「打ってはいけない場所」が厳格に決められています。その中でも、金的攻撃は試合の流れを大きく変えてしまう重大な反則です。
まずは、基本的な用語の意味と、なぜ禁止されているのかという背景から見ていきましょう。
「ローブロー」とはどこのこと?
ボクシング中継では「金的」という言葉よりも、「ローブロー(Low Blow)」という用語がよく使われます。直訳すると「低い打撃」という意味です。
具体的には、ボクシングパンツのベルトライン(おへそのあたり)よりも下の部分への攻撃すべてを指します。つまり、急所である股間(金的)だけでなく、太ももや足への攻撃も、ボクシングではすべて「ローブロー」という反則になります。
しかし、試合で中断が必要になるほど深刻なダメージになるのは、やはり股間部分にパンチが当たってしまったケースがほとんどです。
なぜこれほど危険視されるのか
最大の理由は、「鍛えることができない急所」だからです。
ボクサーは腹筋を鋼のように鍛え上げ、ボディへのパンチに耐える体を作ります。しかし、股間の周りには筋肉がなく、内臓神経に直結する非常に敏感な器官が露出している状態です。
ここにパンチの衝撃が加わると、激痛だけでなく、吐き気や血圧の急激な低下を引き起こし、最悪の場合はショック状態で意識を失うこともあります。選手の安全を第一に考えるボクシングにおいて、最も危険な反則の一つとされているのはこのためです。
意図的か偶然かが重要なポイント
金的攻撃は反則ですが、ボクシングの試合では「わざとやったのか(故意)」それとも「流れの中で当たってしまったのか(偶発)」が非常に重視されます。
レフェリーは、パンチの軌道や選手の目線などを瞬時に判断します。明らかに相手のダメージを狙って打ったと判断されれば、即座に減点や失格負けになることもあります。
一方、多くの場合は、激しい動きの中で起きてしまった事故(アクシデント)として扱われ、まずは回復のための時間が与えられることになります。
試合中に金的が入った時のルールと回復時間
では、実際に試合中にローブローが起こってしまった場合、どのような手順で試合が進められるのでしょうか。
ここにはボクシング特有の「回復のためのルール」が存在します。観戦中に「なぜ試合が再開しないの?」と疑問に思わないよう、流れを知っておきましょう。
「5分間」の回復ルール
強烈な金的攻撃を受けて選手が試合続行不可能に見える場合、レフェリーは試合を一時中断します。この時、ダメージを受けた選手には最大で5分間の休憩(インターバル)が与えられることがルールで認められています。
これは、痛みが引くまで待つための権利です。5分間フルに使わなければならないわけではなく、選手が「できる」と合図すれば、数十秒や1分程度で再開されることもよくあります。
しかし、5分経過しても立ち上がれない、あるいは試合続行が無理だとドクターやレフェリーが判断した場合は、その時点で試合が終了となります。
減点と失格の基準
反則に対するペナルティは、レフェリーの判断に委ねられます。一般的な基準は以下の通りです。
- 注意(コーション): 軽度のローブローや、初めての偶発的なもの。
- 減点: 明らかに故意である場合や、注意しても何度も繰り返す場合。ジャッジの採点から1点(または2点)が引かれます。
- 失格(ディスクォリフィケーション): 悪質な故意の攻撃、あるいはダメージが深すぎて試合続行が不可能な場合(故意の場合)。
特に「減点1」は、接戦の試合では勝敗を分ける大きな痛手となります。そのため、選手も細心の注意を払ってパンチを打っています。
試合が続行できない場合の勝敗
もし、偶発的な(わざとではない)ローブローのダメージが大きすぎて、5分待っても試合が再開できない場合はどうなるのでしょうか。
この場合、試合がどれくらい進んでいたかによって結果が変わります。
試合終了のタイミングによる判定の違い(一般的な世界ルール)
- 4ラウンド終了前: 「無効試合(ノーコンテスト)」や「引き分け」になることが多い。
- 4ラウンド終了後: その時点までの採点(スコアカード)で勝敗を決める「負傷判定(テクニカル・デシジョン)」となる。
つまり、試合後半であれば、それまで優勢だった選手が勝つことになります。逆に序盤であれば、試合自体が成立しなかったことになります。
なぜプロボクサーでも金的攻撃が起きてしまうのか

「プロなら狙った場所に打てるはず」「なぜ反則をしてしまうの?」と思うかもしれません。
しかし、ハイレベルな試合ほど、紙一重の攻防の中でローブローは起こりやすくなります。ここでは、その主な原因を3つに分けて解説します。
ボディブローとの紙一重の差
ボクシングでは、相手のスタミナを削るために腹部(ボディ)を狙うことが重要です。特に、相手のベルトラインぎりぎりを狙うパンチは非常に効果的です。
選手たちは相手のベルトの少し上、へそのあたりや脇腹を狙ってパンチを打ち込みます。しかし、相手も動いているため、ほんの数センチのズレや、打つ瞬間に相手が少し飛び跳ねたり体を沈めたりすることで、狙いが下に逸れてしまうのです。
特にアッパーカットのような下から突き上げるパンチは、狙いが低いとそのまま股間を直撃してしまうリスクが高くなります。
構えの違いによる足の交錯
右構え(オーソドックス)の選手と、左構え(サウスポー)の選手が戦う時は、お互いの前足がぶつかりやすい位置関係になります。
この時、パンチを打とうと踏み込んだ足が相手の足と絡まったり、足の位置取り争いの中で膝が相手の股間に当たってしまったりすることがあります。
これはパンチによるローブローではありませんが、同様に金的へのダメージとなるため、レフェリーから注意を受ける対象となります。
疲労とガードの低下
試合終盤になり疲労が蓄積してくると、どうしてもパンチのコントロールが乱れてきます。腕が上がらなくなり、パンチの軌道が想定よりも低くなってしまうのです。
また、守る側も疲労でガードが下がったり、苦しくて体が丸まったりします。すると、本来なら腹部に当たるはずだったパンチが、丸まった体の下腹部に当たってしまうというケースも増えてきます。
極限状態での戦いだからこそ、こうした予期せぬ事故が起きてしまうのです。
ボクサーを守る防具「ファウルカップ」の重要性
これほど危険な金的攻撃から身を守るために、ボクサーは必ず防具を着用しています。それが「ファウルカップ(ノーファウルカップ)」です。
野球や他の格闘技で使うプラスチックのカップとは少し異なり、ボクシング専用のものはかなり大きく頑丈に作られています。
プロボクサーが使う防具の構造
ボクシング用のファウルカップは、単に急所を隠すお椀型のものではありません。下腹部から腰回り、足の付け根までを広く覆う、まるで「厚手のオムツ」のような形状をしたプロテクターです。
素材は革製で、中には衝撃を吸収する分厚いパッドが入っています。そして、最も重要な股間の部分には、金属製や硬質プラスチック製のカップが内蔵されています。
これにより、パンチが当たった時の衝撃を点ではなく面で受け止め、腰全体に分散させる仕組みになっています。
防具をしていても痛い理由
「そんなに頑丈な防具があるなら、痛くないのでは?」と思われるかもしれません。しかし、実際には防具の上からでも激痛が走ります。
プロボクサーのパンチ力は数百キロとも言われます。硬いカップで直接の破壊は防げても、カップごと体にめり込むような強烈な衝撃(振動)は完全に消すことができません。
この衝撃が内部に伝わるだけで、内臓が揺さぶられるような重い痛みが発生します。ファウルカップはあくまで「最悪の事態(破裂など)」を防ぐためのものであり、痛みをゼロにする魔法の道具ではないのです。
試合前のチェック義務
ファウルカップは選手の安全を守る最後の砦であるため、試合前には必ずレフェリーや立会人によるチェックが行われます。
規定の位置に正しく装着されているか、トランクスのベルトラインが高すぎて相手の攻撃範囲を狭めていないかなどが厳しく確認されます。
金的攻撃を受けた時の体の反応と回復方法
試合中、ローブローを受けた選手が独特の動きをすることがあります。ジャンプをしたり、屈伸をしたり。これにはちゃんとした理由があります。
最後に、金的攻撃を受けた時の体のメカニズムと、選手が行う回復動作について解説します。
独特な「内臓に響く痛み」
金的への衝撃は、皮膚の痛みとは全く種類が異なります。医学的には、精巣への衝撃が腹部の神経叢(しんけいそう)を刺激し、下腹部から胃のあたりまで突き上げるような鈍痛を引き起こします。
「迷走神経反射」と呼ばれる反応により、冷や汗が出たり、吐き気を催したり、血圧が下がって目の前が暗くなったりすることもあります。
ボクサーがうずくまるのは、単に痛いからだけではなく、この神経反射によって体に力が入らなくなってしまうからなのです。
なぜジャンプをするのか?
ローブローを受けた後、選手がリング上で数回ジャンプをして、かかとを「ドンッ」と床に打ち付ける動作を見たことがありませんか?
これは「かかと落とし」と呼ばれる回復法の一つです。医学的な根拠は完全には解明されていませんが、衝撃で縮こまってしまった精巣や周辺の筋肉を、重力と振動によって元の位置にリセットし、緊張をほぐす効果があると言われています。
また、大きく深呼吸をすることで、乱れてしまった自律神経を整え、吐き気を抑える効果も狙っています。
ダメージは試合後に残ることも
試合中になんとか回復して戦ったとしても、ダメージが完全に消えたわけではないことがあります。
アドレナリンが出ている試合中は痛みを感じにくくなっていても、試合が終わってから再び激痛に襲われたり、血尿が出たりすることもあります。
そのため、激しいローブローを受けた選手は、試合後にドクターの診察を受けることが推奨されています。一瞬の反則が、選手生命に関わる怪我につながることもあるのです。
まとめ:ボクシングの金的攻撃(ローブロー)を知って観戦をより深く

ボクシングにおける金的攻撃(ローブロー)について、ルールやダメージの理由を解説してきました。
一見すると地味な中断に見えるかもしれませんが、リング上では選手の肉体的・精神的な限界を試すドラマが起きています。
- ローブローはベルトラインより下への攻撃すべてを指す反則。
- 回復には最大5分間の時間が与えられる権利がある。
- プロでも「紙一重の狙い」や「疲労」で起こってしまう。
- 専用の防具をしていても、衝撃は内臓に響くほど強烈。
もし試合中にローブローのアクシデントが起きたら、「早く再開しろ」と思うのではなく、「今、選手は必死に神経のショックと戦っているんだな」と温かく見守ってみてください。
ルールの意味と痛みの背景を知ることで、ボクシングという競技の奥深さや、リングに立つ選手たちの凄さを、より一層感じることができるはずです。



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