ブラジリアン柔術は「体を使ったチェス」とも呼ばれ、単なる力比べではなく、知的な戦略と物理的な技術が絡み合う奥深い格闘技です。その中心にあるのが、数千種類とも言われる多種多様な「柔術技」です。小柄な人が大柄な人を制することができるこの技術体系は、護身術としてだけでなく、生涯スポーツとしても世界中で愛されています。
これから柔術を始めようとしている方や、習い始めたばかりの方にとって、無数にある技の中から何を覚えればいいのか、どうやって極めればいいのかを理解するのは少し大変かもしれません。しかし、基本となる技の仕組みや名前を知ることで、練習の楽しさは何倍にも膨れ上がります。この記事では、柔術技の全体像から、最初に覚えるべき基本ポジション、そして憧れの極め技まで、初心者の方にも分かりやすく丁寧に解説していきます。
柔術技の全体像とは?大きく分かれる3つのカテゴリー
柔術の技は非常に数が多く、一見すると複雑に見えますが、その役割ごとに整理すると大きく3つのカテゴリーに分けることができます。それぞれのカテゴリーがどのような目的を持ち、試合やスパーリングの中でどのようにつながっていくのか、まずは全体像を把握しましょう。
立ち技(テイクダウン・投げ)
柔術の試合や実戦は、通常立った状態(スタンド)から始まります。相手を地面に倒して有利な体勢を作るための技術が「立ち技」です。柔道由来の投げ技や、レスリング由来のタックルなどがこれに含まれます。
柔術における立ち技の特徴は、必ずしも豪快に投げて「一本」を取る必要がないという点です。目的はあくまで「グラウンド(寝技)の展開に持ち込むこと」にあります。そのため、リスクを冒して投げに行くよりも、自分から座り込んでガードポジション(下から足を利かせる体勢)を取る「引き込み」という戦術が頻繁に使われるのも、他の格闘技にはない柔術ならではのユニークな点です。
寝技(グラウンド・ポジショニング)
相手と地面で組み合う「寝技」こそが、柔術の醍醐味であり、最も多くの時間を割いて練習するパートです。寝技には明確なポジションの優劣が存在し、より有利な位置を取り合う攻防が繰り広げられます。
有利なポジションとは、相手の攻撃を防ぎやすく、かつ自分は攻撃しやすい位置のことです。例えば、相手の上に馬乗りになる「マウントポジション」や、背後を取る「バックコントロール」などがこれに当たります。柔術のルールでは、これらの有利なポジションを取ることでポイントが加算されます。極め技を狙うための土台作りとして、いかに相手をコントロールするかが勝負の鍵を握ります。
極め技(サブミッション)
相手から「参った(タップアウト)」を奪い、試合を決着させるための技術が「極め技」です。英語ではサブミッションと呼ばれます。首を絞めて相手を降参させる「絞め技」と、肘や肩などの関節を本来曲がらない方向に曲げたり伸ばしたりする「関節技」の2種類が基本です。
極め技は、適切なポジションとコントロールがあって初めて効果を発揮します。力任せに仕掛けても逃げられてしまうことが多いため、「テコの原理」や「身体構造の弱点」を理解することが重要です。体格で劣る人が勝つための最大の武器であり、柔術家が最も情熱を注いで磨き上げる技術と言えるでしょう。
初心者が最初に覚えるべき基本のポジション
柔術技を理解する上で、まず知っておかなければならないのが「ポジション」の概念です。お互いの位置関係によって名前がついており、自分が今有利なのか不利なのかを知るための地図のような役割を果たします。ここでは主要なポジションを解説します。
ガードポジション(防御と攻撃の要)
自分が仰向けになり、足を使って相手をコントロールしている状態を「ガードポジション」と呼びます。一見、下になっているので不利に見えるかもしれませんが、柔術においてガードは強力な攻撃の拠点です。足の使い方は手と同じくらい器用で強力なため、ここから相手をひっくり返したり、関節技を仕掛けたりすることができます。
ガードには様々な種類があります。両足で相手の胴体を挟んでロックする「クローズドガード」は、相手の動きを制限しやすく、防御力が高い基本の形です。一方、足を組まずに相手の体や道着に足を当ててコントロールする形を総称して「オープンガード」と呼びます。初心者の方は、まずはクローズドガードから身を守る術を学ぶことが多いでしょう。
トップポジション(マウント・サイド)
相手の上になり、体重をかけて抑え込んでいる状態を「トップポジション」と呼びます。重力を味方にできるため、体力を消耗させやすく、常に優位に攻めることができます。代表的なのが「サイドコントロール(横四方固め)」と「マウントポジション(縦四方固め)」です。
サイドコントロールは、相手の真横から胸を合わせて抑え込む形で、安定感があり攻めの起点になりやすいポジションです。マウントポジションは、相手のお腹の上に馬乗りになる形で、パンチがあれば圧倒的な攻撃が可能なため、柔術でも高得点(4ポイント)が与えられます。ここから絞め技や腕十字などを狙うのがセオリーです。
バックコントロール(最強のポジション)
相手の背後につき、両足を相手の太ももの内側にフックして体を密着させた状態を「バックコントロール(バックマウント)」と呼びます。相手からは自分の姿が見えず、手も足も届かない「死角」からの攻撃になるため、柔術において最も支配的で強力なポジションとされています。
この状態になると、逃げることは非常に困難です。攻撃側は一方的に首を絞めるチャンスを得られます。競技ルールでもマウントと同様に最高の4ポイントが与えられます。いかにして相手の背中を取るか、逆に背中を取らせないかは、柔術の戦略において極めて重要なテーマです。
ポジションの階層構造(有利な順)
1. バックコントロール / マウントポジション(圧倒的有利)
2. サイドコントロール / ニーオンベリー(有利)
3. ガードポジション(攻防の拮抗・下からの攻撃チャンス)
4. ガードの中にいるトップ(攻めるにはガードを越える必要がある)
代表的な極め技(サブミッション)の種類と名前

柔術には数え切れないほどの極め技がありますが、基本となる技はシンプルで洗練されています。ここでは、初心者でも比較的覚えやすく、かつ黒帯になっても使い続けることができる代表的な4つの技を紹介します。
腕十字固め(アームバー)
柔術の代名詞とも言える最も有名な関節技です。相手の腕を自分の両足で挟んで固定し、自分の腰を支点(フルクラム)にして相手の肘関節を逆に反らせることで極めます。テコの原理を最も体感しやすい技の一つです。
マウントポジション、ガードポジション、サイドコントロールなど、あらゆる状況から仕掛けることができます。成功のポイントは、相手の親指を天井に向けさせること(肘の角度を固定するため)と、自分の膝をしっかり締めて相手の肩を逃さないことです。美しく極まった時の爽快感は格別です。
三角絞め(トライアングルチョーク)
自分の両足で相手の首と片腕を三角形に挟み込み、頸動脈を圧迫して絞め落とす技です。主に下からのガードポジションから仕掛けます。足の力が強いため、一度入ってしまうと抜け出すのは非常に困難です。
この技の「絞め」の仕組みは、自分の太ももと、挟み込んだ相手自身の肩を使って首の両側を圧迫することにあります。足の長さや太さに関係なく、角度の調整や足の組み方を工夫することで誰でも効かせることができるようになります。「柔術は足で勝つ」を象徴するテクニックです。
裸絞め(リアネイキッドチョーク)
バックコントロールから仕掛ける、最も実戦的で確実性の高い絞め技です。道着の襟を使わず、自分の腕だけで相手の首を絞めるため「裸絞め」と呼ばれます(英語ではRear Naked Choke、略してRNCとも)。
相手の背後から片腕を首に巻き付け、もう片方の腕で自分の上腕二頭筋を掴んでロックします。頸動脈を直接圧迫して脳への血流を止めるため、数秒で意識を失わせる威力があります。力が必要なく、形さえ完成すれば子供でも大人を制することができる「キング・オブ・チョーク」です。
キムラロック(腕絡み)
相手の手首を掴み、自分の腕を相手の腕に絡ませて「4の字」のようなロックを作り、背中側に捻り上げることで肩関節を極める技です。柔道では「腕緘(うでがらみ)」と呼ばれます。
この技の名前は、伝説の柔道家・木村政彦が、ブラジリアン柔術の創始者エリオ・グレイシーとの試合でこの技を使って勝利したことに由来し、世界中で「キムラ」という名称で定着しています。ガードポジションからでも、上から抑え込んだ状態からでも狙える、非常に汎用性の高い強力な武器です。
試合やスパーリングで使えるスイープとパスガード
ポジションと極め技をつなぐ重要なプロセスが「トランジション(移行)」です。自分が下なら上を取り返し(スイープ)、自分が上なら相手の足を突破して抑え込む(パスガード)。この攻防こそが柔術の試合の大部分を占めます。
シザースイープ(基本の返し技)
ガードポジションから相手をひっくり返す「スイープ」の基本技です。自分の足をハサミ(シザーズ)のように動かして相手を倒すことから名付けられました。
片方の足(スネ)を相手のお腹に当てて盾(シールド)にし、もう片方の足で相手の膝を外側から払います。同時に相手の襟と袖を引いてバランスを崩し、スネを支点にして転がします。力ではなくタイミングと崩しで決まるため、柔術の理合を学ぶのに最適な技です。
ヒップスロー(帯取り返し)
相手がガードの中で上体を起こしてきた瞬間に、自分も起き上がって相手の片腕を抱え込み、腰の回転を使って投げ飛ばすようなスイープです。勢いよく相手がひっくり返るため、決まるとそのままマウントポジションまで取れることが多い高得点狙いの技です。
寝技の攻防でありながら、動きは柔道の腰投げに近く、タイミングが重要です。相手が後ろに重心を残していると掛かりませんが、前にプレッシャーをかけてきた時や、不用意に休憩しようとした時が絶好のチャンスとなります。
闘牛パス(トレアドールパス)
ここからは上からの攻め、「パスガード」の紹介です。トレアドール(闘牛士)パスは、その名の通り闘牛士が牛をひらりと交わすような動きで、相手の両足(ズボンの裾)を掴んで左右に振り、足を裁いて横につく技です。
スピードとステップワークが重要ですが、それ以上に「相手の足をコントロールして、自分の方に向けさせない」という概念が大切です。相手の足をマットに押し付けたり、横に流したりすることで、相手の防御壁である足を無効化し、一気にサイドコントロールを奪います。
ニーオンベリー(高得点のポジション)
相手を抑え込んだ後、さらにプレッシャーをかけるためのポジションであり技です。相手のお腹の上に自分の膝(スネ)を乗せ、自分の全体重を一点に集中させます。
相手は息苦しさと痛みで動揺し、何とか逃げようと手を出してきます。その隙をついて腕十字や絞め技を狙うのが常套手段です。競技ルールでは、抑え込みからさらに攻めの姿勢を見せるこのポジションに対して2ポイントが与えられます。機動力があり、すぐに別の動きに移れるのもメリットです。
防御とエスケープ!自分の身を守る大切な動き
攻める技だけでなく、守る技や逃げる技も柔術には欠かせません。特に初心者のうちは、攻め込まれる時間が長くなりがちです。まずは「やられないこと」が上達への第一歩となります。
エビ(基本のエスケープ動作)
柔術の準備運動で必ず行う「エビ」という動き。これは単なるトレーニングではなく、下から相手に抑え込まれそうになった時に、腰を引いて相手との間にスペースを作るための必須テクニックです。
床を足で蹴り、お尻を後ろに突き出す姿がエビに似ていることからそう呼ばれます(英語ではShrimping)。相手に密着されると何もできなくなってしまいますが、エビを使って少しでも隙間を作れば、そこから足を戻してガードポジションを回復(リガード)することができます。
ブリッジ(ウパ)
マウントポジションを取られた際に脱出するための基本的な動きです。足の裏をしっかりマットにつけ、腰を高く突き上げることで相手のバランスを崩します。
ただ上に跳ね上げるだけでなく、相手の片腕を抱え込み、同じ側の足を封じてから斜め方向にブリッジすることで、相手は手をつくことができずに転がってしまいます。力ずくで相手をどかそうとするのではなく、全身の力を連動させることがコツです。
柔術技を上達させるためのコツと練習方法
これほど多くの技がある柔術ですが、どうすれば効率よく覚えられるのでしょうか。最後に、技を習得するための心構えと練習のポイントをお伝えします。
ドリル(反復練習)の重要性
新しい技を習った時、頭で理解しただけでは実際に使うことはできません。無意識に体が動くようになるまで、何度も同じ動きを繰り返す「ドリル(打ち込み)」が不可欠です。
最初はゆっくりと手順を確認しながら行い、徐々にスピードを上げていきます。「質より量」ではなく、「正しい形での量」をこなすことが大切です。パートナーと協力して、お互いに技を受け合いながら感覚を磨いていきましょう。
スパーリングでの意識の持ち方
実戦形式の練習であるスパーリングは、勝敗を決める場ではなく、技を試す実験の場です。初心者のうちは、どうしても「やられたくない」という思いから力が入ってしまいがちですが、それでは新しい技を試す余裕が生まれません。
「今日はこのスイープを試してみよう」「ガードを割られてもいいからエビの練習をしよう」といった具体的なテーマを持つことが上達の近道です。そして、危ないと思ったらすぐにタップ(参った)することも、怪我なく長く続けるための重要な技術です。
ワンポイントアドバイス:
YouTubeなどの動画で技を予習・復習するのも非常に効果的です。ただし、動画で見ただけの技をいきなりスパーリングで全力で試すと怪我の元になります。まずは打ち込みの時間にパートナーにお願いして、動きを確認することから始めましょう。
まとめ:柔術技を楽しく学んでステップアップしよう

柔術の技は、知れば知るほどその合理的な仕組みに驚かされ、パズルを解くような面白さを感じられるものです。最初は覚えることが多くて戸惑うかもしれませんが、焦る必要はありません。誰もが最初は白帯からのスタートです。
今回ご紹介した基本的なポジションや技の名前を頭の片隅に置いておくだけでも、道場での説明がぐっと理解しやすくなるはずです。一つひとつの技を自分のものにしていく達成感を味わいながら、長く楽しい柔術ライフを送ってください。



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