1990年代、日本の格闘技界にはとてつもない熱狂がありました。その中心にあった団体の一つが「リングス(RINGS)」です。前田日明というカリスマを筆頭に、世界中から未知の強豪たちが集結し、最強の座を争っていたあの時代。その中で、一際異彩を放つオランダ人の空手家がいました。彼の名は、ハンス・ナイマン(Hans Nijman)。
190cm近い巨体から繰り出される、変幻自在の蹴り技「ナイマン蹴り」。一見すると無表情で冷徹な殺し屋のような風貌。しかし、リングを降りれば陽気な一面も見せる、愛すべきファイターでした。そんな彼が、2014年に母国オランダで銃撃され、あまりにも衝撃的な最期を遂げたことをご存知でしょうか。この記事では、ハンス・ナイマンという格闘家の強さの秘密、語り継がれる名勝負、そして謎に包まれた死の真相までを、当時の熱気とともにやさしく解説します。
ハンス・ナイマンのプロフィールと格闘技のルーツ
まずは、ハンス・ナイマンという人物がどのようなバックボーンを持っていたのか、そのプロフィールと経歴から紐解いていきましょう。彼は単なる格闘家ではなく、オランダという特殊な土壌が生んだ「プロフェッショナル」でした。
名前:ハンス・ナイマン(Hans Nijman)
生年月日:1959年9月23日
没年月日:2014年11月5日(享年55歳)
出身:オランダ・アルクマー
身長 / 体重:187cm / 112kg(現役時)
所属:リングス・オランダ
バックボーン:伝統派空手(松濤館流など)
伝統派空手のエリートとしての実績
ハンス・ナイマンの格闘技人生の原点は「空手」にあります。オランダの格闘技といえばキックボクシングが有名ですが、ナイマンのベースはフルコンタクト(直接打撃)ではなく、寸止めを基本とする伝統派空手でした。彼はWUKO(世界空手道連合)の世界選手権で3位に入賞するなど、純粋な空手家として世界トップレベルの実績を持っていました。
この「伝統派空手」出身という点が、後の彼のファイトスタイルに大きな影響を与えます。ボクシングやムエタイのリズムとは全く異なる、遠い間合いから一瞬で距離を詰めるステップや、相手の意表を突くタイミングでの打撃は、まさに空手の賜物でした。
「赤鬼」クリス・ドールマンとの出会い
空手家として成功していたナイマンですが、より実戦的な強さを求めて、オランダ格闘技界の重鎮クリス・ドールマンの門を叩きます。ドールマンは、サンボやレスリングをベースにした「オランダ格闘技界の父」とも呼ばれる人物です。
ドールマンのジムには、後にナイマンの盟友となるディック・フライやウィリー・ピータースといった、腕っぷしの強い男たちが集まっていました。彼らの多くは、格闘家であると同時に、アムステルダムの歓楽街で用心棒(バウンサー)として働く「荒くれ者」たちでした。ナイマンはこの集団の中で、打撃のスペシャリストとしての地位を確立していきます。
リングス・オランダの主力として日本へ
1991年、前田日明が立ち上げたリングスは、世界中の格闘家たちとのネットワークを構築しました。その中でも最強の外国人勢力として恐れられたのが「リングス・オランダ」です。ナイマンはその中心メンバーとして来日し、瞬く間に日本のファンの心をつかみました。
当時のリングスは、打撃あり、投げあり、寝技ありの総合格闘技に近いルールでしたが、まだ現代のMMA(総合格闘技)ほど技術が体系化されていませんでした。その混沌とした戦いの中で、ナイマンの鋭い打撃は「一撃必殺」の武器として際立っていたのです。
必殺技「ナイマン蹴り」の正体とは?
ハンス・ナイマンを語る上で絶対に外せないのが、彼の代名詞とも言える必殺技「ナイマン蹴り(Nijman Kick)」です。ファンの間では「魔法の蹴り」とも呼ばれたこの技は、一体どのようなものだったのでしょうか。
ガード不能?軌道が変わる「消える蹴り」
ナイマン蹴りの最大の特徴は、「蹴りの軌道が途中で変化する」という点にあります。通常、回し蹴り(ミドルキック)は腰の回転を使って横から薙ぎ払うように打ちます。相手はそれを見て、腕でガードをします。
しかし、ナイマンの蹴りは違いました。まず、中段(ボディ)を狙うような軌道で足が上がります。相手が「ボディに来る!」と思ってガードを下げた瞬間、膝から下のスナップだけで軌道が急上昇し、無防備な顔面(上段)を直撃するのです。あるいはその逆で、顔面を狙うと見せかけてボディをえぐることもありました。
対戦相手が語る恐怖と破壊力
この蹴りの恐ろしさは、実際に受けた選手たちの証言からも分かります。リングスで活躍した長井満也選手は、ナイマンとの対戦でこの蹴りの餌食になりました。長井選手は上段(顔面)への蹴りを警戒してガードを高く上げていましたが、ナイマンの蹴りはガードの隙間を縫うように変化し、中段(わき腹)に突き刺さりました。
その結果、長井選手は肋骨を骨折する重傷を負いました。しかも、ナイマンは蹴る瞬間に足の指先(親指の付け根あたり)を尖らせて蹴り込む「中足(ちゅうそく)」という空手特有の当て方をしていました。これにより、まるで槍で突かれたような鋭い痛みが内臓まで響くのです。
寝技全盛の時代に打撃で抗った男
1990年代後半になると、格闘技界はブラジリアン柔術やレスリングを中心とした「寝技(グラップリング)」の技術が急速に進化し始めました。「打撃だけの選手は勝てない」と言われるようになった時代です。
しかし、ナイマンは頑なに自身のスタイルを貫きました。「寝技に持ち込まれる前に蹴り倒す」。その潔いまでの打撃偏重スタイルは、膠着(こうちゃく)しがちな試合展開を一発でひっくり返すスリルを観客に提供しました。彼が足を上げるたびに、会場中が「出るか、ナイマン蹴り!?」と息を呑んだのです。
リングスでの名勝負とライバルたち

ハンス・ナイマンは、リングスのリングで数々の名勝負を繰り広げました。彼は決して「絶対王者」ではありませんでしたが、誰と戦っても面白い試合をする「名勝負製造機」でした。
vs 前田日明:団体の威信をかけたエース対決
リングスの創始者でありエースである前田日明との対戦は、当時のファンにとって特別なカードでした。体格で勝る前田選手に対し、ナイマンはスピードと蹴り技で対抗しました。
前田選手の重いローキックや投げ技に苦しめられながらも、ナイマンは一瞬の隙を突いてハイキックを放ち、前田選手をヒヤリとさせる場面を何度も作りました。結果的に敗れることが多かったものの、試合後に互いを称え合う姿は、国境を超えた格闘家同士のリスペクトを感じさせました。
vs ヴォルク・ハン:魔術師との異種格闘技戦
「コマンドサンボの魔術師」と呼ばれたロシアのヴォルク・ハンとの対戦は、まさにスタイル対スタイルの戦いでした。関節技のスペシャリストであるハンと、打撃のスペシャリストであるナイマン。触れれば極められる(関節技をかけられる)という恐怖の中で、ナイマンはいかに距離を取り、打撃を当てるかという極限の攻防を見せました。
ハンがナイマンの足を取ってアキレス腱固めを狙えば、ナイマンはその足を抜いて顔面への蹴りを狙う。この緊張感あふれる攻防は、現在の総合格闘技の原点とも言える光景でした。
盟友ディック・フライとの関係
ナイマンを語る上で、同じリングス・オランダのディック・フライの存在は欠かせません。「破壊王」の異名を持つフライは、パワーと突進力が持ち味のファイターでした。技術のナイマン、パワーのフライという対照的な二人は、タッグマッチでも抜群のコンビネーションを見せました。
プライベートでも二人は非常に仲が良く、共同でジムを経営するなど、公私ともにパートナーでした。しかし、この深い絆が、後の悲劇的な事件にも影を落とすことになります。
PRIDE参戦と時代の変化
2000年代に入ると、格闘技の中心はリングスから「PRIDE」へと移っていきました。ナイマンもまた、この新しい舞台に挑戦しました。
藤田和之との戦いと限界
2000年、PRIDEグランプリに参戦したナイマンは、レスリング出身の日本人ファイター、藤田和之と対戦しました。この時、ナイマンはすでに40歳を超えていました。全盛期を過ぎたベテランが、勢いのある若手とどう戦うのか。
試合は、タックルでテイクダウン(倒されること)を狙う藤田選手に対し、ナイマンが必死に打撃で抵抗するという展開でした。しかし、最後は藤田選手のパワーに押し切られ、首を極められて一本負けを喫しました。この試合は、ナイマンの時代の終わりと、新しい総合格闘技の時代の到来を象徴するような切ない一戦となりました。
K-1ルールの試合での活躍
総合格闘技では苦戦が増えたナイマンでしたが、彼の打撃技術は立ち技格闘技であるK-1やキックボクシングのルールでも十分に通用しました。晩年はオランダ国内の大会などでキックルールの試合に出場し、若い選手を相手にKO勝利を収めるなど、健在ぶりをアピールしていました。
彼の空手仕込みの蹴りは、年齢を重ねても錆びつくことはありませんでした。「生涯現役」を地で行く彼の姿に、往年のファンは勇気をもらっていたのです。
衝撃の最期:2014年11月5日の銃撃事件
2014年11月、世界中の格闘技ファンを震え上がらせるニュースが飛び込んできました。「ハンス・ナイマン、銃撃され死亡」。それは病死でも事故死でもなく、明らかな殺人事件でした。
ジムの前で起きた白昼の悲劇
事件はオランダのベーフェルウェイクにある、ナイマンが経営するジムの前で起きました。彼が自分の車に乗っていたところ、近づいてきた別の車から自動小銃(マシンガン)で銃撃を受けたのです。車体には無数の弾痕が残り、ナイマンはその場で帰らぬ人となりました。
目撃情報によれば、犯人たちはナイマンを待ち伏せし、確実に命を奪うために大量の弾丸を浴びせたといいます。その後、犯行に使われたと見られる車が近くで焼かれた状態で発見されました。これはプロの殺し屋による、計画的な犯行であることを物語っていました。
オランダ裏社会との関わり
なぜ、一人の格闘家がこれほど残忍な方法で殺されなければならなかったのでしょうか。現地の報道や関係者の証言から浮かび上がってきたのは、オランダ格闘技界と裏社会の切っても切れない関係でした。
オランダでは「ペノーゼ(Penose)」と呼ばれる犯罪組織が存在し、麻薬取引などを巡って抗争を繰り広げていました。多くの格闘家が用心棒として、あるいはそれ以上の役割で、こうした組織と関わりを持ってしまう現実があります。
ナイマン自身がどの程度深く関与していたかは定かではありませんが、彼や彼の周辺人物が何らかのトラブルに巻き込まれていた可能性が高いとされています。特に、盟友であるディック・フライも事件前に脅迫を受けていたという情報もあり、二人が経営するジムが何らかの標的になっていたのではないかとも噂されました。
メモ:この事件の真相や犯人については、現在も完全には解明されていません。格闘家としての輝かしい実績とは裏腹に、あまりにも暗く悲しい最期となってしまいました。
ハンス・ナイマンが格闘技界に残したもの
悲劇的な最期を迎えてしまったハンス・ナイマンですが、彼が格闘技界に残した功績が消えることはありません。
「プロフェッショナル」としての姿勢
リングスジャパンの元選手たちが口を揃えて言うのは、ナイマンの真面目で紳士的な人柄です。「リングの上では敵だが、降りれば仲間」。彼は日本の若手選手たちにも優しく接し、技術的なアドバイスを惜しみませんでした。
また、どんなに不利な状況でも試合を投げ出さず、最後まで自分のスタイルで戦い抜く姿勢は、まさにプロフェッショナルでした。彼が見せた「逃げない戦い」は、今の格闘技ファンが見ても心を打つものがあります。
後世に語り継がれる「見えない蹴り」
「ナイマン蹴り」は、今もなお伝説の技として語り継がれています。現代の総合格闘技では、カーフキック(ふくらはぎへの蹴り)などの新しい技術が主流となり、ナイマンのような大技を見る機会は減りました。
しかし、伝統派空手の技術をMMAに応用した先駆者として、彼の影響を受けた選手は少なくありません。堀口恭司選手やリョート・マチダ選手のように、空手をバックボーンに持つMMAファイターが世界で活躍するたびに、私たちはハンス・ナイマンという偉大な先人のことを思い出します。
まとめ:ハンス・ナイマンという生き様

ハンス・ナイマンという格闘家の人生は、光と影が交錯するドラマそのものでした。最後に、彼の人生と功績を振り返ります。
・独自のスタイル:伝統派空手をベースにした「ナイマン蹴り」で、寝技全盛の時代に打撃の恐怖を植え付けた。
・リングスの功労者:前田日明やヴォルク・ハンらと激闘を繰り広げ、1990年代の格闘技ブームを支えた重要な外国人エースだった。
・記憶に残る名勝負:勝っても負けてもKO決着を狙うスリリングな試合運びで、多くのファンに愛された。
・衝撃の最期:2014年に銃撃事件でこの世を去ったが、その背景にはオランダ格闘技界の複雑な事情があった。
ハンス・ナイマンは、単に強かっただけの選手ではありません。その独特の佇まい、予測不能な蹴り技、そして悲劇的な運命まで含めて、ファンの心に深く刻まれたファイターでした。もし、当時の試合映像を見る機会があれば、ぜひ彼の足元に注目してください。そこには、世界を驚かせた「魔法」の痕跡がはっきりと残っているはずです。



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