古式ムエタイの世界へようこそ!歴史から技までその魅力を紐解く

技術・筋トレ・練習法

古式ムエタイという言葉を聞いて、あなたはどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか?

「映画で見た、バンテージだけを巻いて戦う荒々しい姿」
「現代のスポーツ化されたムエタイとは違う、一撃必殺の武術」

そんな神秘的で危険な香りのする古式ムエタイ(ムエボラン)ですが、その実態は単なる格闘技の枠を超え、タイの歴史や仏教観、そして人々の精神性と深く結びついた「芸術」でもあります。この記事では、現代のリングで見るムエタイのルーツでありながら、まったく異なる哲学と技術体系を持つ古式ムエタイの全貌を、歴史的背景から実践的な技の違い、そして現代における楽しみ方まで、余すことなく徹底的に解説します。

古式ムエタイ(ムエボラン)とはどのような武術なのか

まず最初に、「古式ムエタイ」という言葉の定義と、現代私たちが目にするスポーツとしてのムエタイとの決定的な違いについて解説します。単なる「昔のムエタイ」という言葉では片付けられない、生死をかけた戦闘技術としての側面が見えてきます。

戦場から生まれた「殺傷」のための技術

「ムエボラン(Muay Boran)」という言葉は、タイ語で「古代のボクシング」や「古流ムエタイ」を意味します。現代のムエタイがリングの上でルールに則って勝敗を競うスポーツであるのに対し、古式ムエタイはその起源を「戦場」に持ちます。

かつてタイ(シャム王国)は、隣国であるビルマ(現ミャンマー)やカンボジアとの絶え間ない戦争の中にありました。兵士たちは剣や槍などの武器を持って戦いましたが、乱戦の中で武器を失ったり、破損したりすることも珍しくありませんでした。そんな絶体絶命の状況下で、自身の身体そのものを最強の武器として敵を倒し、生き残るために開発された徒手空拳の戦闘術、それが古式ムエタイの始まりです。

そのため、その技術体系には「相手を制圧する」こと以上に、「相手の息の根を止める」「戦闘不能にする」ための危険な技が数多く含まれています。

現代の競技ムエタイとの決定的な違い

現代のムエタイと古式ムエタイの最大の違いは、「ルールの有無」と「目的」にあります。
現代ムエタイ(スポーツ・ムエタイ)は、選手の安全を守るために厳格なルールが設けられています。グローブの着用、急所への攻撃禁止、投げ技の制限、ラウンド制の導入など、競技としての公平性と安全性が最優先されます。

一方、古式ムエタイには本来、スポーツ的なルールは存在しませんでした。目突き、金的攻撃、関節を破壊する技、頭突き、そして相手を地面に叩きつける投げ技など、現代のリングでは反則となる技こそが、戦場では最も効果的な技術として重宝されたのです。

また、構え(スタンス)にも大きな違いがあります。現代ムエタイはリズムを刻みながら高く構えることが多いですが、古式ムエタイは重心を低く落とし、いつ、どの方向から敵が来ても対応できるような重厚な構えが基本となります。

グローブではなく「カッチュー」を巻く理由

古式ムエタイの象徴的なビジュアルといえば、拳に白い紐を巻いた姿ではないでしょうか。これは「カッチュー(Kard Chuek)」と呼ばれる麻のロープです。

現代のボクシンググローブは、拳を守ると同時に、相手へのダメージを軽減(カットなどの裂傷を防ぐ)する役割がありますが、カッチューの目的は正反対です。

麻のロープを拳と前腕に固く巻き付けることで、拳そのものを石のように硬くし、攻撃力を極限まで高めることが目的でした。さらに、紐の結び目(コブ)を拳の打撃面に作ることで、殴った際に相手の皮膚を切り裂きやすくするという、恐ろしい工夫も施されていました。

映画などの演出では「ガラスの破片を練り込む」といった描写が見られますが、史実としては、デンプンや樹脂を使ってロープを固めることはあっても、ガラスの使用は伝説の域を出ないという説が一般的です。しかし、素手よりも遥かに殺傷能力が高いことは疑いようもありません。

映画『マッハ!』で世界に広まった認知

2000年代初頭まで、古式ムエタイはタイ国内でも一部の愛好家や歴史家のものであり、世界的にはほとんど知られていませんでした。その状況を一変させたのが、2003年に公開されたタイ映画『マッハ!』(原題:Ong-Bak)です。

主演のトニー・ジャーが見せた、ワイヤーアクションやCGを使わない驚異的な身体能力と、見たこともないようなアクロバティックかつ破壊的な技の数々は、世界中の格闘技ファンに衝撃を与えました。

トニー・ジャーが劇中で使用した技こそが、まさに古式ムエタイの技術そのものでした。相手の肩に駆け上がって肘を落とす技や、飛び膝蹴りなど、人間離れした動きは「ムエボラン」の名を世界に知らしめるきっかけとなり、現在ではフィットネスや護身術として古式ムエタイを学ぶ外国人も増えています。

古式ムエタイの歴史と伝説の戦士たち

数千年の歴史を持つと言われる古式ムエタイですが、その歴史はタイという国の歴史そのものでもあります。ここでは、古式ムエタイの発展に大きく寄与した伝説的な英雄や王たちについて触れながら、その歴史を紐解いていきます。

アユタヤ王朝とムエタイの深い関係

古式ムエタイが最も隆盛を極めたのは、1351年から1767年まで続いたアユタヤ王朝時代だと言われています。この時代、ムエタイは軍事訓練の必須科目であり、兵士だけでなく王族までもが熱心に稽古に励みました。

アユタヤ時代には、ムエタイの技術が高い者は軍の要職に取り立てられたり、王の護衛隊に抜擢されたりするなど、立身出世の手段でもありました。そのため、各地に道場ができ、独自のスタイルや技が磨かれていったのです。

寺院もまた、ムエタイの修行の場として重要な役割を果たしました。孤児や貧しい子供たちが寺に預けられ、僧侶から読み書きと共にムエタイを教わるという伝統は、現代のタイのボクシングジムのシステム(住み込みで練習するスタイル)にも受け継がれています。

ムエタイの父「ナイ・カノム・トム」の伝説

古式ムエタイを語る上で、絶対に外せない伝説の英雄がいます。それが「ナイ・カノム・トム」です。彼は「ムエタイの父」として、現在でもすべてのムエタイ選手(ナックモエ)から崇拝されています。

1767年、アユタヤ王朝がビルマ軍によって陥落した際、多くのタイ人が捕虜としてビルマに連行されました。その中に、ムエタイの達人であったナイ・カノム・トムがいました。

ビルマ王マン・ラは、タイの格闘技とビルマの格闘技のどちらが強いか興味を持ち、御前試合を命じます。ナイ・カノム・トムは、試合前の儀式(ワイクルー)を舞った後、なんと1人で10人(一説には9人や12人とも)のビルマ拳法家を連続でKOしたと伝えられています。

感銘を受けたビルマ王は「タイ人は素手でも侮れない。武器がなくとも、その手足が武器となる」と称賛し、彼に自由を与えました。この伝説から、彼が偉業を成し遂げた3月17日は「ムエタイの日」と定められています。

王自身も達人だった?サンペット8世の逸話

アユタヤ王朝には、王自身がムエタイの達人だったという逸話も残っています。第29代国王サンペット8世(通称:虎王 / プラチャオ・スア)です。

彼はムエタイを愛するあまり、変装して身分を隠し、村祭りのムエタイ試合に参加していたと言われています。王であることを隠したまま、地元の強豪たちを次々と打ち負かし、賞金や食べ物を受け取っては去っていくという、まるで物語のようなエピソードが残されています。

彼の時代にはムエタイの技術体系がさらに整理され、今日に伝わる「虎のスタイル」と呼ばれるような猛々しい技が確立されたとも言われています。王が愛した武術であるという事実は、ムエタイが単なる殴り合いではなく、高貴な精神修養の道であることを裏付けています。

近代化の流れとスポーツ化への変遷

戦場の技術であった古式ムエタイは、平和な時代が訪れるにつれて、村祭りや祝い事の際の余興、そして賭けの対象としての娯楽へと変化していきました。

しかし、カッチュー(麻紐)のみで戦う試合はあまりに危険で、死者や重傷者が絶えませんでした。そこで1920年代から1930年代にかけて、近代化の波と共に大きな改革が行われました。
西洋ボクシングの影響を受け、グローブの着用が義務付けられ、リング、階級制、ラウンド制、レフェリーといった現代的なルールが導入されました。これにより、危険な技(目突き、噛みつき、投げ技の一部など)は禁止され、競技スポーツとしての「ムエタイ」が誕生したのです。

こうして表舞台から姿を消したかのように見えた古式ムエタイですが、その技術と精神は一部の指導者たちによって密かに、しかし確実に守り続けられ、近年再び「実戦的な武術」として注目を浴びることとなったのです。

地域によって異なる古式ムエタイの4大スタイル

一口に「古式ムエタイ」と言っても、実はタイの地域によって構えや得意技が全く異なります。大きく分けて4つの主要なスタイル(流派のようなもの)が存在し、それぞれに独自の哲学と戦術があります。ここでは、その4大スタイルについて詳しく解説します。

速さと鋭さを兼ね備えた「ムエ・タサオ」

タイ北部(ターサオ地方)を発祥とするスタイルが「ムエ・タサオ(Muay Thasao)」です。このスタイルの最大の特徴は、その「スピード」にあります。

「猿のように素早い」とも形容されるムエ・タサオは、フットワークを駆使して相手の攻撃をかわし、鋭い蹴りを放つことを得意とします。北部の山岳地帯の人々の身体能力を活かした、軽快で機動力のある戦い方が持ち味です。

構えは比較的高く、蹴り技の美しさと速さが際立っています。現代のムエタイ選手の中にも、北部出身者にはテクニシャンで足技が巧みな選手が多いと言われていますが、そのルーツはこのムエ・タサオにあるのかもしれません。

重い拳と力強さが特徴の「ムエ・コラート」

タイ東北部(イサーン地方)、特にナコーンラーチャシーマー(通称コラート)を中心に発展したのが「ムエ・コラート(Muay Korat)」です。

このスタイルの特徴は、何と言っても「重いパンチ」と「屈強な肉体」です。コラートの戦士たちは、相手の攻撃を恐れずに前に出て、一撃必殺の重い拳(バッファロー・パンチとも呼ばれる)で相手を粉砕するスタイルを好みました。

また、カッチューの巻き方にも特徴があり、腕の肘近くまで長く紐を巻くことで、腕全体を盾として使い、防御と攻撃の両方に活用しました。重心をどっしりと落とした安定感のある構えから繰り出されるパワーは、4つのスタイルの中でも最強の破壊力を持つと言われています。

知的で変則的な動きの「ムエ・ロッブリー」

タイ中部、ロッブリー地方に伝わるのが「ムエ・ロッブリー(Muay Lopburi)」です。このスタイルは「知略」と「正確さ」を重視します。

ロッブリーは古くから猿が多く生息する地域であり、ムエ・ロッブリーの動きはインド神話に登場する猿神「ハヌマーン」の動きを模しているとも言われます。変則的な動きで相手を翻弄し、敵の意表を突くアッパーカットや、相手の腕を乗り越えて打つ技など、トリッキーな技術が豊富です。
単に力で押すのではなく、相手の力を利用したり、急所を正確に狙ったりする技術に長けており、非常に高度で知的なスタイルとされています。

防御と近接戦に優れた「ムエ・チャイヤ」

タイ南部、チャイヤ地方発祥のスタイルが「ムエ・チャイヤ(Muay Chaiya)」です。4つのスタイルの中で、現在最も体系的に保存され、人気が高いのがこのムエ・チャイヤです。

ムエ・チャイヤの最大の特徴は、独特の「低い構え」と鉄壁の「防御技術」です。身体を小さく丸めるように構え、肘と膝を使って相手の攻撃をブロック(ポングカン)します。この防御は同時に攻撃の準備体勢でもあり、相手の攻撃を受け流した瞬間、至近距離から肘や膝で反撃します。

「ドリアン(棘のある果物)を守るように」とも表現されるそのスタイルは、相手が攻撃すればするほど、自身の拳や足が傷つくような強固な防御壁を築きます。接近戦での攻防一体の技術は芸術的です。

【古式ムエタイ4大スタイルの比較まとめ】

  • ムエ・タサオ(北部):スピード重視、美しい蹴り技、軽快なフットワーク。
  • ムエ・コラート(東北部):パワー重視、一撃必殺の重いパンチ、強固な肉体。
  • ムエ・ロッブリー(中部):テクニック重視、トリッキーな動き、正確な急所攻撃。
  • ムエ・チャイヤ(南部):防御重視、低い構え、肘と膝を使った攻防一体の近接戦。

独自の儀式と精神性が宿る文化

古式ムエタイは、単に相手を倒すための技術ではありません。そこにはタイ仏教の教えや、精霊信仰(アニミズム)、そして師弟関係を重んじる深い精神性が宿っています。ここでは、古式ムエタイを彩る文化的な側面について解説します。

師への感謝と神への祈り「ワイクルー」

ムエタイの試合前、選手が音楽に合わせて踊る姿を見たことがあるでしょう。あれは「ワイクルー(Wai Kru)」と呼ばれる神聖な儀式です。「ワイ」は合掌、「クルー」は師匠を意味し、直訳すると「師への合掌(感謝)」となります。

この儀式には、自分にムエタイを教えてくれた師匠、育ててくれた両親、そして神々への感謝を捧げる意味があります。また、戦いの場を清め、自身の精神を統一し、恐怖心を払拭する役割も果たしています。

古式ムエタイにおけるワイクルーは、流派によって動きが異なり、踊りを見るだけでその選手がどの地方のどの師匠の下で学んだかが分かると言われるほど、アイデンティティを示す重要な要素です。

神聖な力を宿すお守り「モンコン」と「パープラチア」

古式ムエタイの戦士たちは、身を守るために神秘的な力が宿るとされるお守りを身につけます。
頭に巻く輪っか状のお守りは「モンコン」と呼ばれ、師匠から弟子へと受け継がれる非常に神聖なものです。モンコンは神や師匠の魂が宿る場所とされ、地面に置いたり、またいだりすることは厳禁とされています。試合の直前、師匠によって外され、戦いの無事を祈ります。

一方、腕に巻くお守りは「パープラチア(またはプラチアット)」と呼ばれます。これは布の中に護符や仏像などが包まれていることがあり、戦闘中も身につけたまま戦うことが許されています。これらのお守りは、物理的な防具がない古式ムエタイにおいて、精神的なプロテクターとして戦士たちに勇気を与えてきました。

音楽が戦いを支配する「サラマ」の役割

ムエタイの試合中に流れる、独特の甲高い音色の音楽。これは「サラマ」や「ピー・ムアイ」と呼ばれる伴奏音楽です。

ジャワ笛(ピー)、太鼓(クロン)、シンバル(チン)などで構成されるこの音楽は、単なるBGMではありません。試合の展開に合わせてテンポが変化し、戦士たちの闘争本能を刺激する役割を持っています。

序盤の静かな探り合いの時はゆっくりと、試合が白熱しクライマックスに近づくにつれて激しく速いテンポになり、選手と観客をトランス状態へと誘います。古式ムエタイの時代から、音楽は戦いの一部であり、リズムに乗って戦うことはムエタイの極意の一つとされています。

仏教との結びつきと精神修養

タイは国民の9割以上が仏教徒の国であり、古式ムエタイも仏教の教えと深く結びついています。多くのムエタイジムには仏壇があり、練習の前後には必ず祈りを捧げます。

古式ムエタイの修行は、単に身体を鍛えるだけでなく、心を磨く修行(精神修養)でもあります。暴力的な衝動をコントロールし、礼節を重んじ、対戦相手への敬意(リスペクト)を持つことが教えられます。

「強さとは、相手を傷つけることではなく、自分自身に打ち勝つことである」という教えは、僧侶たちが寺院でムエタイを教えていた時代から変わらずに受け継がれている精神です。

現代における古式ムエタイの練習と習得

「そんな危険な技、現代で習えるの?」と疑問に思うかもしれません。しかし、古式ムエタイは現在、その危険な部分をコントロールし、伝統文化やフィットネス、護身術として再評価され、一般の人でも学ぶことができるようになっています。

危険な技は寸止め?安全な稽古方法

現代の古式ムエタイの稽古では、実際に相手を破壊するようなスパーリング(実戦練習)を行うことは稀です。基本的には「型(カタ)」の稽古が中心となります。
古式ムエタイには「メーマイ(母なる技)」と呼ばれる基本の15手と、「ルークマイ(子供の技)」と呼ばれる応用・秘伝の15手が存在します。これらの型を、一人で行うシャドーボクシング形式や、パートナーと約束された動きで合わせる形式で練習します。

トニー・ジャーのようなアクロバティックな動きも、基礎から段階を追って学ぶため、怪我のリスクを最小限に抑えながら、身体操作の奥深さを学ぶことができます。

全身運動としてのフィットネス効果

古式ムエタイの動きは、現代のキックボクシング以上に全身を使います。深く腰を落とす低い構えは下半身の筋肉を強烈に刺激し、体幹(コア)を鍛えます。

また、肘や膝を大きく使うダイナミックな動きは、肩甲骨周りや股関節の柔軟性を高めます。普段使わない筋肉を複雑に動かすため、ダイエットやボディメイクの観点からも非常に高い効果が期待できます。
「ただ痩せるだけでなく、強くてしなやかな身体を作りたい」という女性や、「他人とは違う趣味を持ちたい」という人々に、新しいフィットネスとして注目されています。

護身術としての有効性と実戦への応用

ルールのあるリングの上では使えない技も、路上の護身(セルフディフェンス)においては絶大な威力を発揮します。

例えば、相手に掴まれた時の対処法、関節を極めて制圧する方法、狭い場所での肘打ちなどは、古式ムエタイが得意とする分野です。
もちろん、暴力を行使することを推奨するわけではありませんが、「いざという時に自分の身を守る技術を持っている」という自信は、日常生活における精神的な余裕につながります。古式ムエタイは、現代社会における護身術としても非常に理にかなったシステムを持っています。

日本で古式ムエタイを体験・習得するには
日本国内でも、古式ムエタイ(ムエボラン)を指導しているジムや道場がいくつか存在します。「ムエタイジム」と看板を掲げていても、競技ムエタイ専門の場所が多いため、事前に「ムエボラン」や「古式ムエタイ」のクラスがあるかを確認することが重要です。また、ワークショップやセミナー形式で、タイからグランドマスターを招いて指導が行われることもあります。

知っておきたい豆知識:ハヌマーンの技
古式ムエタイには「ハヌマーン」という名のつく技が多くあります。例えば「ハヌマーン・タワイ・ウェーン(ハヌマーンが指輪を捧げる)」という技は、両手のアッパーカットを相手の顎に突き上げる技です。神話の物語がそのまま技の名前になっているのも、古式ムエタイの魅力の一つです。

古式ムエタイを知ればタイの文化がもっと好きになる

古式ムエタイ(ムエボラン)について、その起源から技の種類、そして現代における意義まで解説してきました。
それは単なる過去の遺物ではなく、タイという国の歴史、宗教、そして人々の魂が凝縮された生きた文化遺産です。
戦場で生き残るために生まれた荒々しい技の裏には、師を敬い、神に祈り、自身の精神を高めようとする静かな哲学が流れています。

もしあなたがタイを訪れる機会があれば、スタジアムで現代ムエタイの熱気を感じるのも良いですが、アユタヤの遺跡や古式ムエタイの演武(ショー)を見て、いにしえの戦士たちの息吹を感じてみてください。
また、日本国内で実際に体験してみることで、その奥深い身体操作の楽しさに目覚めるかもしれません。古式ムエタイを知ることは、タイの文化をより深く、より愛するための入り口となるはずです。

 

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