「体を使ったチェス」とも呼ばれるブラジリアン柔術。その最大の魅力は、力や体格で劣る人が、技術と知恵を駆使して大きな相手を制することができる点にあります。パンチやキックといった打撃がなく、寝技を中心とした論理的な攻防は、護身術としてはもちろん、生涯スポーツとしても世界中で爆発的な人気を博しています。
これから柔術を始めようとしている方や、始めたばかりの白帯の方にとって、数千種類とも言われる「ブラジリアン柔術の技」は、まるで迷宮のように感じるかもしれません。しかし、その膨大なテクニックも、基本的な概念と構造を理解すれば、驚くほど整理して覚えられるようになります。
この記事では、ブラジリアン柔術の技の全体像から、初心者が最初に覚えるべき基本ポジション、試合で一本を取るための絞め技や関節技、そして効率的な上達方法までを網羅しました。一つひとつの技の意味や仕組みを丁寧に解説していきますので、ぜひ日々の練習の参考にしてください。
ブラジリアン柔術の技における基本概念と特徴
ブラジリアン柔術の技を学ぶ前に、まず理解しておきたいのが「柔術ならではの戦い方のルール」です。ただ闇雲に技を掛けるのではなく、セオリーを知ることで上達のスピードは飛躍的に向上します。ここでは、柔術を構成する根幹の概念について解説します。
「ポジション・ビフォア・サブミッション」の原則
ブラジリアン柔術には「ポジション・ビフォア・サブミッション(Position before Submission)」という、最も重要な格言があります。これは「関節技や絞め技(サブミッション)を仕掛ける前に、まずは相手をコントロールできる有利な位置(ポジション)を確保せよ」という意味です。
初心者のうちは、早く一本を取りたくて、不利な体勢から無理に腕を取りにいったり、首を絞めようとしたりしがちです。しかし、相手が自由に動ける状態で技を掛けても、簡単に逃げられるばかりか、逆にカウンターを食らってしまいます。まずは相手の動きを封じ、自分が安全で有利なポジションを確立すること。これが技を成功させるための絶対条件なのです。
例えば、マウントポジション(馬乗り)を取れば、重力と自分の体重を利用して相手を圧迫できます。相手は逃げることに必死になり、防御がおろそかになります。その瞬間に初めて、高い確率でサブミッションが決まるのです。この手順を徹底することが、柔術の技をマスターする第一歩です。
試合を支配するポイントシステムの仕組み
ブラジリアン柔術の試合は、関節技や絞め技による「一本(タップアウト)」で決着がつかない場合、獲得したポイント数で勝敗が決まります。このポイントシステムは、実戦において「どれだけ有利な状況を作れたか」を数値化したものです。
ポイント配分を知ることは、どの技やポジションが重要視されているかを理解することに繋がります。主なポイントは以下の通りです。
| アクション/ポジション | ポイント | 概要 |
|---|---|---|
| マウントポジション | 4点 | 相手の胴体の上に馬乗りになり、制圧した状態。 |
| バックコントロール | 4点 | 相手の背後につき、両足のフックを掛けて制圧した状態。 |
| パスガード | 3点 | 相手のガード(足の防御)を突破し、横や上から抑え込む体勢を作ること。 |
| ニーオンベリー | 2点 | 相手のお腹の上に自分の膝を乗せて制圧する状態。 |
| スイープ | 2点 | 下から相手をひっくり返し、上下の体勢を入れ替えること。 |
| テイクダウン | 2点 | 立ち技の攻防から、相手を倒して上のポジションを取ること。 |
見てわかる通り、マウントやバックコントロールといった「相手を完全に制圧できるポジション」には、最も高い4点が与えられます。これは、護身術の観点から見ても、相手からの反撃を受けにくく、一方的に攻撃できる究極の形だからです。技を覚える際は、これらの高得点ポジションを目指す流れを意識しましょう。
「テコの原理」と道着を活用した技術体系
ブラジリアン柔術が「柔よく剛を制す」と言われる理由の一つが、物理的な「テコの原理」を徹底的に利用する点です。腕力で対抗するのではなく、相手の関節の構造上の弱点を突いたり、自分の全身の力を使って相手の体の一部を攻撃したりします。
特に道着を使った技は、力のない人が強い人をコントロールするのに非常に有効です。例えば、相手の襟を掴んで引き寄せることで姿勢を崩したり、袖を持って腕の自由を奪ったりすることができます。道具(道着)を武器として使う発想も、ブラジリアン柔術の技の面白さの一つと言えるでしょう。
初心者が覚えるべきブラジリアン柔術の技:ポジション編

柔術の技と言えば、派手な関節技や絞め技に目が行きがちですが、それらを掛けるための土台となるのが「ポジション」です。ここでは、スパーリングや試合で必ず遭遇する基本ポジションについて、その特徴と狙いを解説します。
ガードポジション(クローズド・オープン)
ガードポジションとは、自分が下になり、相手に向けて足を配置している状態のことです。他の格闘技では「下になると不利」とされますが、柔術では足を使って相手をコントロールできるため、下からの攻め(ガード)が非常に発達しています。
代表的なものに「クローズドガード」があります。これは自分の両足で相手の胴体を挟み込み、足首を組んでロックする形です。相手の動きを制限しやすく、安全性が高いため、初心者が最初に習得すべき基本の型です。ここから相手の襟や袖を引き、バランスを崩してスイープ(上下逆転)を狙ったり、絞め技や関節技を仕掛けたりします。
また、足を組まずに相手の体や道着に足を当てて戦う形を総称して「オープンガード」と呼びます。片足だけ絡めるハーフガードや、足の裏を相手の腰に当てるスパイダーガードなど種類は無数にあり、自分の体格やスタイルに合ったガードを見つけるのも柔術の楽しみの一つです。
マウントポジション
マウントポジションは、仰向けの相手の胴体の上に馬乗りになった状態です。総合格闘技でもよく見られる、圧倒的に有利な体勢です。このポジションの強みは、自分の体重を相手に浴びせかけ、体力を削りながらプレッシャーを与えられる点にあります。
上になっている人は、重力を味方につけて攻撃できますが、下になっている人は逃げるために重力に逆らって動かなければなりません。ポイントも4点と高く、ここからの攻撃パターンを確立することは勝利への近道です。初心者はまず、相手が激しく暴れてもバランスを崩されない「キープ力」を養うことが重要です。
サイドコントロール(横四方固め)
サイドコントロールは、仰向けの相手に対して、横から垂直に覆いかぶさるように抑え込むポジションです。柔道で言う「横四方固め」や「袈裟固め」に近い形です。マウントポジションに比べると、相手との接地面積が広く重心を低くできるため、安定して抑え込みやすいのが特徴です。
パスガード(相手の足の防御を突破すること)の直後は、多くの場合このサイドコントロールに移行します。ここ自体にはポイントはありませんが(パスガードの3点は入ります)、ここからマウントやニーオンベリーへ移行したり、アームロックなどの関節技を狙ったりする起点となる重要なハブ(中継地点)です。
まずは「胸と胸を合わせる」「相手の顔を肩でプレッシャーをかける(クロスフェイス)」といった基本の抑え方をマスターしましょう。相手に隙間を与えない密着力が鍵となります。
バックコントロール
相手の背後につき、両足を相手の太ももの内側にフックさせ、上半身はシートベルトのようにたすき掛け(一方は肩上、一方は脇下から腕を通す)にして密着した状態です。マウントと並んで4点が与えられる最強のポジションの一つです。
「死角からの攻撃」であるため、相手は防御が非常に難しくなります。また、相手の目が見えない位置から首を狙えるため、リアネイキッドチョーク(裸絞め)などの決定的な技に入りやすいのが最大のメリットです。体が小さい人でも、バックを取ってしまえば大男を制圧することが十分に可能です。
試合で決まる!代表的なブラジリアン柔術の技:絞め技編
ポジションを確保したら、次はいよいよフィニッシュ(一本)を狙います。ここでは、ブラジリアン柔術で特によく使われる、効果的な絞め技を紹介します。安全に練習するためにも、仕組みを正しく理解しましょう。
リアネイキッドチョーク(裸絞め)
バックコントロールから狙う、最も代表的かつ強力な絞め技です。総合格闘技などでもフィニッシュホールドとして頻繁に見られます。道着の襟を使わず、自分の腕だけで相手の頸動脈(けいどうみゃく)を絞めるため「裸絞め」と呼ばれます。
手順としては、相手の首に腕を深く巻き付け、もう片方の腕で自分の上腕二頭筋を掴み、さらにその手を相手の後頭部に添えてロックします。この形が完成すれば、脱出はほぼ不可能です。力任せに絞めるのではなく、隙間をなくすようにじわじわと圧力をかけるのがコツです。
上達のポイント
腕を首に巻く際、できるだけ深く入れることが重要です。自分の肘が相手の顎(あご)の下に来るくらい深く入れると、少ない力で強烈に極まります。
三角絞め(トライアングルチョーク)
ガードポジション(下になった状態)から、自分の両足を使って相手の首と片腕を挟み込んで絞める技です。相手が攻め込もうとして片腕を伸ばしてきた瞬間などが狙い目です。
自分の足で相手の首の後ろに「4の字」ロックを作り、太ももで相手の頸動脈を圧迫します。足の力は腕の力の数倍あると言われており、正しく極まれば女性が男性を失神させることも可能です。「下からの逆転技」の代名詞とも言えるテクニックです。
送り襟絞め(ボウアンドアロー)
道着を着ている柔術ならではの、非常に美しく強力な絞め技です。バックコントロール、あるいはそれに近い位置から、相手の襟を片手で深く持ち、もう片方の手で相手のズボンや足を掴みます。
まるで「弓(Bow)と矢(Arrow)」を引くような動作で、体全体を反らせて絞め上げます。襟を持つ手が首を圧迫し、体を反らす力がそれを増幅させます。テコの原理が最大限に働くため、少ない力で強烈な威力を発揮します。試合でも決定率が非常に高い技の一つです。
ギロチンチョーク(フロントチョーク)
相手がタックルに来た時や、亀(四つん這い)の状態の相手に対し、前方から首を腕で抱え込んで絞める技です。断頭台(ギロチン)のように首を極めることから名付けられました。
立ち技の攻防から飛びつくように仕掛けることもあれば、ガードポジションから狙うこともあります。首を抱える位置や手首の返し方(手首を鋭く食い込ませる)によって、気管を圧迫する場合と頸動脈を圧迫する場合があります。初心者でも形に入りやすい技ですが、極め切るには繊細な角度調整が必要です。
関節を極めるブラジリアン柔術の技:関節技編
絞め技と並んでフィニッシュの要となるのが関節技です。人間の体の構造上、曲がらない方向に力を加えたり、可動域を超えて伸ばしたりすることで降参(タップ)を奪います。
腕ひしぎ十字固め(アームバー)
柔術、柔道、プロレス、総合格闘技と、あらゆる格闘技で使われる「関節技の王様」です。相手の肘関節を、可動域の逆方向に反らせて極めます。マウント、ガード、サイドなど、あらゆるポジションからエントリーできるのが特徴です。
基本形は、相手の腕を自分の両足で挟んで固定し、自分の腰を突き上げる(ブリッジする)ことで肘に圧力をかけます。ポイントは、相手の親指を天井方向に向けさせること。これにより肘の関節面が正しい位置に来て、逃げられなくなります。全身の力で一本の腕を攻撃するため、脱出は困難を極めます。
アメリカーナとキムラロック
これらはどちらも肩関節と肘関節を極める技ですが、腕をねじる方向が逆になります。
アメリカーナ(V1アームロック)
相手の手首を掴み、肘を90度に曲げた状態で、手の甲側(上方向)へねじり上げる技。主にサイドコントロールやマウントなど、上から抑え込んでいる時に使います。
キムラロック(チキンウィングアームロック)
相手の手首を掴み、肘を背中側(後ろ方向)へねじり上げる技。伝説の柔道家・木村政彦がエリオ・グレイシーを破った技として有名です。ガードポジションからでも、上からでも狙うことができます。
オモプラータ
自分の足と腰を使って、相手の肩関節を極める技です。主にガードポジションから仕掛けます。相手の腕に自分の足を絡め、前転や起き上がり動作を利用して、相手の腕を背中側にねじり上げます。
関節技としてタップを奪うこともできますが、相手が逃げようとして前転した際に、そのまま上のポジションを取ってスイープにつなげる「流れの中の技」としても非常に優秀です。足技が巧みな選手が得意とするテクニックです。
足関節技の基礎(アキレス腱固めなど)
近年、ブラジリアン柔術界で急速に進化しているのが足関節技(レッグロック)です。代表的なのは、相手の足首を脇に抱えて反らす「ストレートフットロック(アキレス腱固め)」です。
ただし、足関節技は膝の靭帯などを痛めるリスクが高いため、帯の色(レベル)によって使用できる技が厳しく制限されています。例えば、膝をねじる「ヒールフック」や、膝を過度に圧迫する「ニーリーピング」などは、白帯や青帯の試合では反則となることがほとんどです。初心者のうちは、道場のインストラクターの指示に従い、安全な基本技から練習しましょう。
ブラジリアン柔術の技を上達させるための練習方法と心構え
技の種類や形を知るだけでは、実際に使いこなすことはできません。ここでは、効率よく技を習得し、実戦で使えるようになるための練習プロセスを紹介します。
ムーブとドリル(反復練習)の徹底
柔術の練習で最も大切なのが「ドリル(打ち込み)」です。これは、技の入り方や動きを、抵抗しない相手に対して何度も繰り返す練習です。「エビ(腰を切って逃げる動き)」などの基本ムーブから、パスガードの手順、サブミッションへの入り方まで、体に動きを染み込ませます。
頭で考えてから動くうちは、実戦では間に合いません。相手が動いた瞬間に体が勝手に反応するレベルまで、反復練習を行うことが上達の最短ルートです。地味な練習ですが、上級者ほどこのドリルを大切にしています。
スパーリング(実戦練習)での意識
ドリルで覚えた技を試す場が「スパーリング」です。初心者のうちは防戦一方になりがちですが、ただ耐えるだけでなく「今日はこのガードを試す」「一度はマウントから逃げる」といった小さな目標(テーマ)を持って挑むことが大切です。
また、上手な人にボコボコにされることも重要な練習です。「なぜ今パスガードされたのか?」「どのタイミングで絞められたのか?」を体感することで、防御の技術が磨かれていきます。
怪我を防ぐためのタップの重要性
柔術を長く楽しむために、そして技を上達させるために最も重要なスキルは「早めのタップ(参った)」です。関節技や絞め技が極まりかけた時、我慢をして怪我をしてしまっては、練習ができなくなり本末転倒です。
「タップは負けではなく、学習の再開」と捉えましょう。タップをすることで、どこで間違えたのかを振り返り、すぐに次の練習に移ることができます。プライドを捨てて安全に練習する姿勢こそが、確実な技術向上につながります。
まとめ:ブラジリアン柔術の技を深く理解して楽しむために

ブラジリアン柔術の技は、知れば知るほど奥が深い世界です。最初は「マウント」や「クローズドガード」といった基本ポジションを覚え、そこから「腕十字」や「三角絞め」といった代表的な技へと枝葉を広げていきましょう。
今回の記事の要点を振り返ります。
- ポジション重視:まずは有利な位置を確保することが、技を成功させる鍵です。
- 理にかなった構造:テコの原理や道着を利用し、力のない人でも勝てる仕組みがあります。
- 基本の反復:ドリルで体に動きを覚えさせ、スパーリングで試すサイクルが上達への道です。
- 安全第一:早めのタップを心がけ、怪我なく長く続けることが最強への近道です。
柔術のマットの上では、年齢や職業に関係なく、誰もが白帯からスタートします。一つずつ技を覚え、昨日できなかったことができるようになる喜びは、ブラジリアン柔術ならではの特別な体験です。ぜひ、道場に足を運び、この知的な格闘技の世界を体感してみてください。



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